neillot’s diary

サラリーマンで三児の母の、はちゃめちゃ感あふれる日常

守られに いく1/2

次男の発熱に始まり、一家での自宅療養中。

nは次男の濃厚接触者として、時差で発熱した。

予防接種をしていても罹る時は罹るらしい、38.5°ほどの熱が出た。

けっこう苦しい(呼吸困難による苦しさではなく、高熱の苦しさである)。

 

脱水症状にならないよう、寝床でミネラルウォータを飲む。

旦那さんが「これを飲んだらいい。」と

小瓶に入ったビタミンC入りの飲料を持ってきた。微炭酸である。

 

炭酸飲料は少し苦手だが、糖分とビタミンも摂らねばなるまい。とりあえず飲もう。

しかしアルミの蓋が開けられなかった。

 

平常時のnの握力は

18, 19歳の男性平均と同じくらいの数値である。測定していた看護師さんに

「何かスポーツでもやられてるんですか!」と驚かれたことが

密かな自慢?である。

そんな握力自慢のnが、何度やっても蓋を開けられない。

 

旦那さんは苦戦しているnを見て、

「nは蓋が開けられないのか…。」となぜか目を細めて笑っていた。

高熱で力が入らないことを告げると、どことなく嬉しそうな表情であった。

 

ジャムや瓶詰めの蓋が開けられず、

「ねぇ、これ開けてくれる?」と頼む女性に、男性は、守ってやらねば!感が発動する(かどうかは分からない…)。

 

男性に頼むどころか力自慢のnは、毎回事もなげに軽々と蓋を開けるので

男性としての守ってやらねば!感がいつまで経っても発動しない(と仮定すると)、

 

nは旦那さんから守られてない、ということに…なる?

仕事と学習と療養の場

次男が発熱した。
陽性反応が出たので自宅隔離となった。同居家族である旦那さん、長女、長男、nも自宅隔離となる。

幸運にも次男の熱は一日で下がった。四日後にはリモート授業を受けることになった。
そしてその日、待ち構えていたかのように
nが発熱した。次男の濃厚接触者なので仕方ない。

かくして狭い我が家にて
リモートワーク&リモート授業、並びに自宅療養が始まった。
圧倒的に部屋数が足りない…

旦那さんは我が家で唯一空いている物置部屋を仕事部屋に改造し、そこで仕事をすることに。
北向きの部屋は寒いので、暖房をつけて下さい。

長女は
nが横になっている和室の部屋で、ローテブルを出して、そこで授業を受ける。
床に伏せるnが背景に映り込まないようにして下さい。

長男次男は
朝食の食器が出しっぱなしのダイニングテーブルで、それぞれのリモート授業を受ける。
仲良く隣りに座らないで、せめて対角線に座って下さい。

仕事も、学習も、療養も、全てを同一空間で
済ます。
どれも中途半端となる。

油揚げとなっとう

先日のこと。子ども新聞を読んだ長男次男が、時事問題に触れてきた。

「何でぷちーん大統りょうウクライナへ攻め入ったの?」

プーチン大統領は、ウクライナNATOグループに加わって欲しくないようだよ。」とn。


「なっとうグループ?」

長男次男、ひとしきりなっとう連呼で

盛り上がる…


「じゃもう、なっとうでいいよ。

アメリカとヨーロッパ各国が結んだ軍事のお約束グループたよ。ロシアに対抗するために作られたんだよ。

ロシアはロシアで、なっとうグループに対抗する軍事のグループを作ってたんだよ。

仮に油揚げグループとするよ。ウクライナはもともと油揚げグループなのね。

ロシアはお仲間のウクライナを失うと、困るんだよ。」


「入ると困ります、って言わなかったの


「うーん…言ったんだけど、攻め入っちゃったんだよ。各国はやり方が荒々しいですね、って思ったからロシアに経済的なお仕置きをしているんだよ。」


「ロシアはお仕置きを受けても、ウクライナを失いたくない?」


「うん、ウクライナはロシアにとってかなり重要みたいだよ。

ロシアは昔、ソ連という名前の国だったのね。ソ連は崩壊してしまって、今は無いのね。

崩壊してからなっとうグループは、油揚げグループにお誘いしたんだよね。

我々のなっとうグループに入りませんか?かつおだし醤油や、海苔や葱などオイシイものも付いてきますよ、とね。

油揚げグループの国たちはこの先、油揚げ食を続けるか、なっとう食に切り替えるか?で迷ったんだよね。

だし醤油がオイシそう、とか海苔が魅力、と思った油揚げグループの国たちは、次々となっとうグループに入ったんだよね。


ロシアにしてみれば、かつての油揚げグループのメンバーが、どんどんなっとうグループに鞍替えしていくから、気が気じゃなかったと思うよ。

そんな流れで、ロシアにとってのウクライナ

油揚げグループの頼みの綱なんだよ。


ウクライナは油揚げとして、けっこう大きいの。地理的にもロシアにとって大事な位置にあるのね。」


「ふううん。

ぼくは納豆も油揚げもどっちも好きだけどな。」


油揚げもなっとうも、作る方法は違っても、

どちらも同じ大豆から作られます。

永遠の恋人たるか2/2

高熱と震えで搬送された父は

二週間の入院期間を終えて、このほど退院した。退院の当日、お迎えが母一人では不安かと思い、付き添った。


病院のエレベーターで、年の頃

母より少し上の世代のご婦人と同じになった。

同じ階で降りる。

この時間帯に、同じ階で降りたということは、

この方も今日退院するご家族の方を迎えに来たのだろうか。

先へ降りたご婦人は、両手が空くようにリュックサックを背負っていた。母とnも、同じ考えでリュックサックである。退院の日は荷物が多いからだ。


時期的にどの病院も

入院患者への面会やお見舞いは、家族でも

一切認めていない。つまり入院すると、ずっと会えない。


母は父の居ない二週間、思いっきり羽を伸ばし、やりたい事を存分にやったのだそう(家の中で)ちょっとしたプチパラダイス、だったという。


廊下で待つこと数十分。

一人の看護師さんが、リュックサックのご婦人の所へ荷物の袋を持ってやって来た。


「お待たせしました。

これからご主人がいらっしゃいますので、もう少しお待ちくださいね。

何か伝えたいことあれば、伝言しますが?」


と言った。


ご婦人はすかさず、

「愛してます、って伝えてください…。」



母は、その日以来

どうしたら、こういう言葉が出てくるのだろう?と自問しているもよう…

永遠の恋人たるか1/2

このほど父が高熱を出した。彼は基礎疾患がある。おまけに高齢だ。

不随意の震えが止まらず、母は「これはきっと陽性である」と覚悟して、救急車を呼んだのだそう。


医療が逼迫しているこの時期、どの病院も

急患の受け入れがパンパンで、

通報から8時間後に、自宅からはとても通いきれない遠方の病院に運ばれる、という事例もあるそうだ。


患者に意識がある場合は、救急搬送は控えた方が結果的に良いかも知れない、とのアドバイスを救命士の方からもらったらしい。


父は高熱ではあったが、意識はあったのだそう。

連絡してから数時間後には、幸い

現在通院している病院に受け入れてもらえ、

入院しながら経過を診てもらえることになった。


その間、リアルタイムでメールをよこす母。


「非常時に正しい判断ができなかった…。」と凹む一方で、


救急救命士って、ほんとかっこいい!キビキビしててさ。去り際もかっこいいの!」と、ときめきの女子発言をしたかと思えば、


「コロナじゃなかったかぁ…という変な拍子抜けがあるんだけど…。」と続ける。


状況が見えないnは、母からのメールを読んで

気持ちがジェットコースターのようになりました。

2月

第一週

次男が北北西の方角に向かって恵方巻きを

むしゃむしゃ無言で食べていた。因みに椅子の上に仁王立ちである。

 

食べ終わると椅子から降り、

北北西に向かって3回、床に正座をして手をつき、祈り?を捧げていた。

 

「どんだけ福を呼び込みたいの?」と長女が突っ込む。

彼女は、節分と言えども恵方巻きを

一口サイズに切っていた。次男曰く一口サイズでは、福が切れる のだそう。

 

小分けにやって来る、とも解釈できるのでは?

 

 

 

第二週

午後から出社だった日、お昼頃に駅前を通ると

制服を着た中学生と母親、というペアを沢山見かけた。

 

その日は高校入試の合格発表の日であった。

nの住む町には、複数の高校が隣接している。

 

発表会場を後にし、様々な感情が交錯しながら駅へ戻っていく親子も、

これから発表をドキドキしながら見に行く親子も、

麗しい家族の姿だな、と思いながら見送った。

 

ふと自分の高校の合格発表日を思い出した。


隣に母はいなかった。nは一人で見に行った。

本命の高校も、滑り止めの高校も。

 

当時の母は日中仕事をしていなかったのに

なぜだろう…

 

過ぎ去れば人生の点にも満たない一瞬の出来事だけれど、

およそ25年?越しに思い出し、とても切なくなった。

 

こういう思いを、自分の子ども達(特に長女)にさせたくない

という一心で子育をしております。

 

 

 

第三週

次男のクラスが、二度目の学級閉鎖になった。

最終の登校日は、過疎の町の分校のようだったそう。

翌日より昼間は

次男が家でリモート授業を受ける。

リモート仕事の私は、必然夜シフトとなる。


私のPCを使うからだ。

コロナ対応として児童に配布されたPCに

このたび不具合が見つかり、タイミング悪く回収中であった。


隣で監督するも

ふとした瞬間に手遊びし始めたり、挙手ボタンを15回連打したり、黒画面に向かって変顔したり…


…もう慣れた…。




第四週

週末に次男の保育園時代の同窓会が予定されていた。卒園式後の謝恩会がコロナで出来なかったので、

保護者の一人が、この日なら大丈夫かな?

という一か八かの賭けで、昨年末から企画してくださっていた。


週末にお仕事があるご家庭も、

習い事やスポーツに勤しんでいるご家庭も、

卒園後引っ越してしまったご家庭も、

みなさん「万難を廃して参加します!」という熱意で即答した。


しかし延期となった。


…もう、慣れた…。

感度良し?!低めの設定基準3/3

昔からnは、気持ち悪くなることが日常的に多かった。

 

子どもの頃は自家中毒を起こしやすく、ひどい乗り物酔いもあった。

自家中毒は、思春期以降に現れなくなった。

けれども乗り物酔いは、大人になっても克服されていない。

体調が悪い時に換気が十分でない乗り物に乗ると、自分で編み出した対策を講じないと

必ず酔う。

 

そんなnなので(自分中で)気持ち悪さSOSマニュアル が確立されていた。

 

三人の妊娠中のつわりでは、

吐きやすい食べ物&吐きにくい食べ物リストも追加され、さらにバージョンアップした。

 

旦那さんは、今までの人生において

彼が記憶している範囲では

気持ち悪くなった経験が、あまり無いように見受けられた。幸せである。

 

吐いたものが喉に詰まらないように横向きに寝る、

気持ちが悪さが少し緩和されるようにシムスの姿勢で横たわる、

呼吸が浅くなったら胸とお腹周りの服をゆるめる、

などの基本事項を教えた。

 

その間、「へぇ、そうなんだ。」とか「あぁ、なるほどね。」

などと合いの手を入れて聞いていた旦那さん。

 

そもそも気持ち悪さMAXだったら、人とまともに会話できないはずです。

nからのアドバイスなんて聞く余裕すらなく、ただただ黙って、気持ち悪さに耐えることしかできないはずです。

ましてや、絶妙なタイミングで相槌なんて打てないはずです。

 

飲みすぎによる気持ち悪さも、10段階の10ではなくて、

実際のところは、4か5程度なのではなかろうか。

 

旦那さん、最終的には気持ち悪さより眠気の方が勝って、

ぐーすかいびきをかいて寝ていました。

 

…いや、1か2だな…。