6月
第一週
長らく休校だった小学校が再開した。
「終わっちゃって悲しい。ママとみんなと、もっといたい。」と言う子どもたち。
今まで注ぎ足りないと思っていた愛情は
休校期間に十分チャージされた、と確信した瞬間だった。
では。
愛情以外(適度な運動や学力)は家庭で十分チャージできたのか…
疑問が残る。
第二週
自分の誕生日を指折り数えて待つ長男。
欲しかったプレゼントがもらえるから、という最大の理由の他に
もう一つ別の、嬉しい理由が隠されているようだ。
「ねぇねとの歳の差を、詰められるから。」
…
追いついて、いつか追い越したいと思う存在が
年上の兄弟なのだろうか。
三日経てば、また三歳差になるんですがね。
第三週
長女と長男は、この時期になると街中でアジサイ探しを始める。
「あっ。アジサイ咲いてる。」
「ここにもあるね。」
「ここのアジサイ、日照りで枯れてるよ。」
「やっぱりアジサイは、雨が似合うね。」
「習い事に行く途中の道に、白いアジサイがあったよ。」
「青もいいけど、紫もきれいだね。」
アジサイが咲くようになると、
自分たちの誕生日も近い、と認識しているようだった。
というわけで、この時期
我が家では日常会話に アジサイ という単語が頻出する。
アジサイ会話に次男も加わりたかったのだろう。
「ねえねえ、ぼくの植えたアジサイ、花が二つも咲いたんだよ。ピンク!」
…
アサガオと混同していませんか?
第四週
アジサイ会話に、母も入りたい。
子どもの頃に遊んだおままごとを思い出しながら参戦する。
「アジサイの葉っぱって、とある野菜の匂いと同じなんだよ。何だと思う?」
「うーん…ほうれん草?」
「ぶっぶー。」
「小松菜?」
「ぶっぶー。」
「セロリかな?」
「ぶっぶぶぶー。」
「緑色の野菜って点で、みんないい線いってるよ。」
「わかんない。」
「きゅうり!なんと、きゅうりの漬物の匂いがするんだよ!葉っぱを刻んで
水につけてスープみたいにするとね、まさに漬物なんだよ。」
「ふぅーーん。」
「そぅ。」
植え込みのアジサイの葉っぱを勝手にちぎって刻み、
路上におままごとセットを広げて、水やら砂やら泥、むしったつつじの花も混ぜ入れつつ漬物スープ?を作り、
石ころを並べて、ついでにカラフルなチョークで、じこじこ道路に絵を描いて
漬物屋さんごっこをやっていた30年前と今では、
子どもを取り巻く環境と状況は、大きく違うのであった。
アジサイの葉っぱが
きゅうりの漬物の匂いだなんて、知る由もない。
…
そんなこと、別に知らなくてもいい か。。。