neillot’s diary

サラリーマンで三児の母の、はちゃめちゃ感あふれる日常

冷戦

歴史のおさらい。冷戦とは…

二国間で、考え方の違いからくる相違が大きな亀裂となって

実際の戦争には至らないものの、非常に緊張した空気が漂っている状態。

社会主義と資本主義の考え方の違いによる、イデオロギーのぶつかり合い

と捉えられよう。

 

国家を細分化していった最終単位、つまり国民レベルにも 冷戦 は存在する。

国民、つまり個人レベルとは

市や町ぐるみであっても、会社などの組織がらみであっても、家族や親せき仲間であっても、何でもよろしい。

 

ダムやカジノ建設に際し、市民町民の意見が真っ二つに割れる、とか

会社の経営方針に、保守派と革新派の意見が激しく対立する、とか

息子の結婚に、両親や親戚が猛反対する、とか状況と様相は様々あるだろう。

 

さらに。個人レベルのグループをさらに細かくし、一対一の冷戦は

存在するか。

 

エス、日常わりと転がっている。

夫婦間やカップル間での、ちょっとしたもめ事もそう。

 

「パジャマの下に、肌着は着るか?着ないか?」

「卵焼きの味付けといえば、甘いか?しょっぱいか?」

「掃除は小出しにやるか?ためてやるか?」

 

当人同士は自論を力説するわけだが

部外者から見れば、どっちでもいいんじゃ? の一言でわりと収まる。

 

夫婦喧嘩(個人・小規模バージョン)と冷戦(国家・大規模バージョン)も、

もしや同じ原理なのでは…。

 

どちらの意見も一理ある。二者ともに真剣に考えているが故の衝突である。

でも最終的に「ぶっちゃけ、どっちでもよくね?」にまとめられるのでは…。

 

 

この大雑把な「どっちでもよくね?」の感覚に少しの諦めと太っ腹な大らかさ 混ぜると

「寛容」という言葉が思い浮かぶ。

 

国家レベルでも、個人レベルでも

他者との関係を円滑に進めるには「寛容」は重要な鍵となる…とおもわれる。