冷戦
歴史のおさらい。冷戦とは…
二国間で、考え方の違いからくる相違が大きな亀裂となって
実際の戦争には至らないものの、非常に緊張した空気が漂っている状態。
社会主義と資本主義の考え方の違いによる、イデオロギーのぶつかり合い
と捉えられよう。
国家を細分化していった最終単位、つまり国民レベルにも 冷戦 は存在する。
国民、つまり個人レベルとは
市や町ぐるみであっても、会社などの組織がらみであっても、家族や親せき仲間であっても、何でもよろしい。
ダムやカジノ建設に際し、市民町民の意見が真っ二つに割れる、とか
会社の経営方針に、保守派と革新派の意見が激しく対立する、とか
息子の結婚に、両親や親戚が猛反対する、とか状況と様相は様々あるだろう。
さらに。個人レベルのグループをさらに細かくし、一対一の冷戦は
存在するか。
イエス、日常わりと転がっている。
夫婦間やカップル間での、ちょっとしたもめ事もそう。
「パジャマの下に、肌着は着るか?着ないか?」
「卵焼きの味付けといえば、甘いか?しょっぱいか?」
「掃除は小出しにやるか?ためてやるか?」
当人同士は自論を力説するわけだが
部外者から見れば、どっちでもいいんじゃ? の一言でわりと収まる。
夫婦喧嘩(個人・小規模バージョン)と冷戦(国家・大規模バージョン)も、
もしや同じ原理なのでは…。
どちらの意見も一理ある。二者ともに真剣に考えているが故の衝突である。
でも最終的に「ぶっちゃけ、どっちでもよくね?」にまとめられるのでは…。
…
この大雑把な「どっちでもよくね?」の感覚に少しの諦めと太っ腹な大らかさ 混ぜると
「寛容」という言葉が思い浮かぶ。
国家レベルでも、個人レベルでも
他者との関係を円滑に進めるには「寛容」は重要な鍵となる…とおもわれる。