子ども新聞のすゝめ
今から数年前。
朝夕の新聞を一回も開くことなく、一日が終わっていた。
旦那さんも私も
新聞を読む時間が、生活の中に見い出せていなかった。
ビニール袋に包まれっぱなしの新聞をラックに積み重ねていく作業は、虚しかった。
ほんの数秒で終わる積み重ねの作業ですら、
そのために割く時間が惜しかった。
仕事と育児とその他諸々に追い詰められていたのであろう。
必然、新聞を取るのを止めた。
現在。
長女が中学生に進級したのを機に、子ども新聞を取り始めた。
長女は、形だけページをめくる、
長男は、漫画の箇所だけ眺める、
次男は、トップページをチラ見する のみ。
主に読んでいるのは、旦那さんと私であった。
自分たちを追い詰める要素が、少し軽減されたようである。
久々に紙媒体の活字に触れる。大人が読む、子ども新聞。
数日前の新聞を読んでも、圧倒的な出遅れ感
を感じない。
大人新聞は、そうはいかぬ。
容赦しないスピードで、情報が毎日更新されている。
子ども新聞は、何ぞやの情勢や動向が逐一盛り込まれていないゆえ、
遅れて読む読者を、置いてきぼりにしていない。