百人一首 おまけ
二人のやり取りには、続きがある。
行成さんも、清少納言さんの和歌を受けて
こんな和歌を返している。
逢坂は 人越えやすき 関なれば
鶏鳴かぬにも 開けて待つとか
「逢坂の関は、今では廃止されて通行自由。
特に鶏が鳴かなくても、関を開けて
人を待っているとか…
もしやあなたも、そうなんじゃないですかぁ?」
…
きわどい。
きわどいが、ほとばしる才気に拍手喝采である。
清少納言さんは、その歌を
お仕えしている定子に献上したそうな。
「私の思いやりで、人目に触れさせないようにしておきましたよ。」
「あれが人目に触れたら、どんなにつらいことか。」
百人一首は、初め
かるたではなかったそうです。
江戸時代に、かるたになり
以降およそ400年もの間、人目に触れられ続け
そして現代人の私たちまでも
学校で暗唱するように教えられ
大々的に
多くの人の知るところとなっている。