neillot’s diary

サラリーマンで三児の母の、はちゃめちゃ感あふれる日常

過去のパパへ 現在のママからの反撃?

「パパとママ、どっちにしよう…。」
長男はここ数日悩んでいた。


近々、保育園で卒業式がある。
退場する時に、ちょっとした演出があるそう。


子どもが親の名前を呼んで感謝のことばをひとこと、親がそれに答え、
舞台中央で決めポーズ、拍手に包まれ退場する、
という流れだ。


両親ではダメ。
パパかママを選ばなければならない。


先生からは、こうアドバイスされたという。

「感謝のことばは、お家でのことにしてください。」
「ママおいしいご飯をありがとう、は
みんな一緒になってしまいます。他のことを言いましょう。」


これらのアドバイスを守ろうとすると、

パパへのことばは、思い浮かぶけど
ママへのことばが、思い浮かばない
という長男。


パパとは、とっておきの思い出が沢山あるようだ。

どこどこへ連れていってもらった、だの
これを作ってもらった、買ってもらった、だの
一緒に何々をして遊んだ、だの…。


なにか特別感のあるイベントには、「パパ」
であるようだ。


一方「ママ」は

ご飯を作ってくれる、
お風呂に入れてくれる、
病院に連れていってくれる、

くらいしか、思いつかないらしい。


下積み的な、日常生活のお世話のみ。

他にいっぱいもしてるんですけど…
生活する上で必要不可欠なことを…。

しかし
どれも華やかさに欠ける。
おまけに
子どもの心には大して響いていないらしかった。


日々子どものためを思って繰り返す動作は
印象が薄い、ということを思い知った。


母親って、地味な役回りだよな…。



長男が先に言っていたことを反芻していたら、
あることに気付きました。



パパがしてくれたことは「過去形」だけど、
ママがしてくれたことは「現在形」である。



パパも
子どもの心に「現在形」で存在したくは
ないですか?